O plus E VFX映画時評 2024年12月号掲載
(注:本映画時評の評点は,上から,
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の順で,その中間に
をつけています)
(12月前半の公開作品はPart 1に掲載しています)
■『JOY:奇跡が生まれたとき』(11月22日配信開始)
今月のPart 1の冒頭で,観る余裕がなかったネット配信映画をこの時期にまとめて紹介すると書いたが,2作品しか載せなかった。実は一気にもっと観ていたのだが,Part 2が淋しかったので,紹介を遅らせてここに入れた次第だ。いずれもNetflix配信映画である。
まずは,世界で初めて体外受精での出産を成功させた研究者たちの物語で,もちろん実話である。時代は1960年代で,英国の生理学者のロバート・エドワーズ(ジェームズ・ノートン)とその助手のジーン・パーディ(トーマシン・マッケンジー)は,不妊に悩む女性達を救おうと体外受精での妊娠・出産に取り組むことを決意する。原理的には十分可能でも,実際の出産まで成功させるには専門医の協力が必要と考え,高名な産婦人科医のパトリック・ステプトー(ビル・ナイ)を訪問し,何とか彼を説得してようやく具体的研究チームが走り出す。ところが十分な研究費が得られず,かなり劣悪な研究施設での実験から始めざるを得なかった。
この劣悪な環境にはかなり驚いた。種痘であれ,麻酔手術であれ,医学上の画期的な業績は,初めは無理解と強い反対が付きものと分かっていたが,その障害は想像以上だった。技術的未熟さ,見通しの甘さなら,忍耐強く実験を重ね,説得力がある事例が得られるまでの苦闘で解決できる。ところが,医学界内部からの抵抗の他に,体外受精の場合は,宗教上の理由から教会が真っ向からの抵抗勢力になることが避けられなかった。リケジョのジーン自身も子供を産めない事情があったが,母親の凄まじい反対に遭い,親子の縁を切られるような状態になる。せめても救いは,子供ができない女性達が「卵子チーム」を結成して実験台となり,成功を待ち続けてくれたことだった。ようやく,1978年に帝王切開での出産に成功し,世界初の試験管ベビー「ルイーズ・ブラウン」が誕生する。「Joy」は,命名を要請されたエドワードらがこの新生児につけたミドルネームである。
成功例を得た後も続く教会側の反発には,宗教の身勝手な教義の独善性や恐ろしさを感じる。DNAの「二重らせん構造」の発見者として知られるジェームズ・ワトソン博士が,終始強固な反対論者であったことにも驚いた。映画としては,実験&誕生シーンがかなりリアルで,3人の掛け合いも素晴らしい。感動度は高かった。
■『ピアノ・レッスン』(11月22日配信開始)
本作もNetflix配信映画である。この題名からは,名作『ピアノ・レッスン』(93)のリメイク版と思われる人が多いに違いない。同作は,ニュージーランドを舞台とした恋愛映画で,浜辺に置かれたピアノが印象的だった。主題曲の美しい旋律も記憶に残っている。カンヌではパルムドールに輝き,アカデミー賞では3部門でオスカーを得た。春には日本公開30周年記念で4Kリマスター版が上映されたが,同作の原題は『The Piano』であった。
本作はそれとは全く無関係の米国映画で,原題は正真正銘『Piano Lesson』である。こちらは戯曲がピューリッツアー賞を受賞したブロードウェイ舞台劇であり,米国でTVドラマ化され,そのリメイク映画版となっている。ほぼ黒人だけしか登場しない所謂「ブラックムービー」であり,同分野の映画賞を既に複数受賞している。製作はデンゼル・ワシントン,監督・脚本はこれが長編デビュー作となる次男のマルコム・ワシントン,長男のジョン・デヴィッドも主役級で出演している。
映画は1911年の独立記念日の夜から始まり,ミシシッピ州のある家から,深い彫刻を施されたピアノが運び出される。そして多数の馬に乗った男たちがやって来て,この家を焼き打ちにする。そして,物語の残りは25年後のピッツバーグを舞台に展開する。ある家に伯父ドーカー(サミュエル・L・ジャクソン)と姪バーニース(ダニエル・デッドワイラー)とその娘マレサが住んでいて,居間には曰く付きのピアノが置かれていた。バーニースの弟ボーイ・ウィリー(J・D・ワシントン)が友人ライモントと大量のスイカをトラックに摘んで南部からやって来る。自分にも半分の権利があるから先祖が残したピアノを売って,ミシシッピの土地を買い,牧場をもつのだと主張する。姉バーニースは断固反対して激しい口論になるが,仲裁に入る伯父やこの家に出入りする知人達から,25年前の忌まわしい事件や,祖父世代にまで遡っての家族の呪われた過去が明らかにされて行く……。
基本は人間関係を描いたヒューマンドラマであるが,後半はサターなる人物の亡霊も登場してホラー性を帯びてくる。物語の底辺には,貧困と黒人差別が根付いていることが読み取れる。ピアノと奴隷1.5人(子供付きの意)で交換するといったエピソードまで盛り込まれている。スーツが5ドル,靴が3ドルなのに,スイカ2個が1ドルという貨幣価値も興味深かった。何度も口論があるのはいかにも舞台劇だ。激しい罵倒合戦はあるが,暴力沙汰や銃撃がないのは,せめてもの救いであった。少女マレサがピアノ練習するシーンは僅かだったが,映画音楽全体ではしっかりとした劇伴曲が流れていた。
■『私にふさわしいホテル』(12月27日公開)
楽しい映画だった。主演は「のん」で,『天間荘の三姉妹』(22年9・10月号)以来の2年ぶりの主演作である。『私をくいとめて』(20年11・12月号)の折に「一も二もなく応援したくなる女優」と書いたのは,素朴な可愛さの上に演技力も抜群だからだ。早いもので,NHKの朝ドラ『あまちゃん』から10年以上経ち,既に三十路に入り,女優としても転機を迎えている。本作での役柄は「文学史上最も不遇な新人作家」だが,かなり騒々しく,大酒飲みで,嫌な女の役である。原作は柚木麻子の同名小説だが,堤幸彦監督がレトロな昭和時代を思い出すコメディタッチで出版界の裏側を描いている。
若手女流作家の中島加代子(のん)は,「相田大樹」の筆名で早々と新人賞を受賞したが,まだ1冊の単行本も出せないでいた。大御所作家・東十条宗典(滝藤賢一)に受賞作を酷評されたためである。編集者で大学の先輩である遠藤道雄(田中圭)から,同じホテルの上階に宿敵・東十条が宿泊していることを知った加代子は,様々な策で彼の執筆を妨害し,穴が空いた文芸誌での掲載のチャンスを得る。その後も,ペンネームを変えつつ作家活動を続ける加代子と,東十条の執拗な妨害,加代子の荒唐無稽な作戦での逆襲のバトルが展開する……。
ベテラン監督の堤幸彦とは相性が悪いのか,話題作でも大抵は全く面白く感じなかったが,本作は違った。前半快適なコメディが,後半は平凡なヒューマンドラマになる映画が多い中で,本作は最後まで大騒動のコメディに徹しているのが立派だった。一方の「のん」は,まさに転機となるべき「嫌な女」の役なのだが,そうは感じさせない。そんな加代子の行動力をも応援してしまうのは,天性の明るさのせいだろう。類い稀なる女優である。
本作のもう1つの主役は,舞台となった神田駿河台にある「山の上ホテル」だ。川端康成,三島由紀夫などの文人が愛した閑静で瀟洒なホテルである。主人公の出身大学名,文学賞名が仮名であるのに対して,このホテルはずっと実名で登場する。客室内やロビーの様子等,完全タイアップだったので,本作の公開後は人気が沸騰して大混雑になるのではと心配したが,2024年4月で休館したそうだ(再開業時期は未定とのこと)。
筆者は,ここに宿泊して執筆するほどの文筆家ではないので,もっぱら昼食時に天ぷらレストランの個室を予約して,インタビュー記事の取材に利用していた。さらに余談になるが,2駅離れた飯田橋には「神楽坂ホン書き旅館」として知られる「和可菜」があった。映画監督や脚本家が愛用した純和風の料理旅館で,『武士の一分』(06年12月号)の脚本執筆中の山田洋次監督に呼ばれて,訪れたことがある。2015年に閉業したが,隈研吾建築設計事務所が7年かけて改修し,営業再開しているそうだ。こちらも映画の舞台にして欲しい。
■『I Like Movies アイ・ライク・ムービーズ』(12月27日公開)
次はカナダ製のコメディ映画で,楽しさを通り越し,破天荒ゆえにとてつもなく面白い映画であった。時代はレンタルDVD全盛期の2003年で,カナダの田舎町を舞台に,映画が好きの17歳の男子高校生の夢と悩みを綴った青春コメディである。
舞台となるのは,オンタリオ州バーリントン。大都市トロントの南東約50kmにあるオンタリオ湖畔の小都市だ。主人公のローレンス(アイザイア・レティネン)は根っからの映画オタクで,地元高校に通い,映画制作サークルにも所属している。シングルマザーの母親(クリスタ・ブリッジス)も教師も手を焼くほど社交性に欠けるが,親友のマイクとだけは日々映画論議を交わしていた。ニューヨーク大学に入学してトッド・ソロンズ監督から映画を学ぶことを夢見ていたが,高額の学費を稼ぐため,ビデオレンタル店「Sequels」でバイトを始める。
相棒マイクとの掛け合いが楽しいが,店内での挙動や他の店員や客とのやり取りがもっと面白い。かつて女優を目指したという店長アラナ(ロミーナ・ドゥーゴ)とは意気投合し,不思議な絆ができる。自宅に帰らず,年内で寝泊まりを始めるのがオタクのオタクたる所以だが,施錠し忘れて泥棒に入られてしまい,大顰蹙を買う…。
当然のことながら,映画の話題は満載で,当時の話題作『シュレック』『8マイル』『オーメン』『ジュマンジ』『マグノリア』等の題名が会話に登場し,俳優はアダム・サンドラーだった。そう言えば、彼の全盛期であった。その他,知らないカナダ映画の題名も多数出て来る。遊び心満載で,変人だが愛すべきローレンス君に温かい目を向けながらも,辛辣な嘲笑と厳しい苦言も含んでいる。その極致は,盗難に遭ってキレた店長アラナのローレンスへの罵詈雑言である。観ていて痛快だった。
監督・脚本は,現地出身の女性監督のチャンドラー・レヴァックで,自伝的映画の本作が監督デビュー作である。敢えて主人公は男性にして,典型的な肥満体のオタク体形にしているが,この監督自身は普通の体形である。自身のある一面は,監督を務めて学内の賞を得た女子高生や店長アラナに投影されていると感じた。店長の好きな映画No.1は『マグノリアの花たち』(89)だったが,これもきっとレヴァック監督のお気に入りに違いない。実際の彼女も対人関係が苦手で,ハチャメチャな女子高生だったのならば,女性オタクも映画内で観たかった。筆者のカナダ・オンタリオ州在住は,この映画の30数年前の1年間に過ぎないが,米国文化に憧れ,そこで一旗揚げたいという若者は当時も多数いた。その心情は今もあまり変わっていない気がする。ちなみにオンタリオの英語アクセントはカリフォルニア訛りそのものであり,そのままハリウッドで働いて違和感は感じないはずだ。
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