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○田付 航(たづけ わたる)さん
 【現在,修士1回生.滋賀県立石山高校出身】

―― まず,定番の質問ですが,なぜ情報理工学部,実世界情報コース,木村研究室に入ろうと決めたのかからお願いします.今の7コースに分かれてからの初めての学年なので,コース選びに迷わなかったのかも.

 プログラミングに興味があって,高校生時代からやっていたので,大学は情報系と決めていました.情報理工学部のコース選択では,希望調査の前からホームページで研究内容を調べていて,「実世界情報コース」を選んだのは,一番実践的であり,社会に出てから役立つのではと考えたからです.元々,グループワークに興味があり,その意味でも,このコースが合っているかなと.
 木村研を第1希望にしたのは,演習での研究室見学時に,身体的UIや対話デバイスを体験できたのがきっかけです.一番面白く感じました.

田付さん

―― まさか,「実世界」と「実社会」とを混同したんじゃないですよね(笑).柴田研との共同運営で,どちらにしようかと迷わなかったのでしょうか?

 共同運営は分かっていました.だから,どちらも大きな違いはないと考え,木村研を第1志望,柴田研を第2志望にしたのです.その逆にしていた同級生もかなりいたと思います.

―― 大学院進学は,いつ頃決めたのでしょうか?

 そんなに前ではなくて,3回生になってからですね.2回生までは,まだ進路決めには実感がなくて,3回生になって考え始め,研究室配属希望調査の前には,もう院進しようと決めていました.

―― サークル活動は何をやっていたのですか?

 1回生では,ストリートダンスサークルとノベルゲーム制作のサークルの両方に所属していました.ストリートダンスは,ジャンルの1つである「ブレイクダンス」に所属していました.1回生の学園祭では衣笠キャンパスのステージでダンスを披露したのが思い出です.でも,怪我をしてしまい,続けることができず,1回生だけで止めざるを得ませんでした.とても残念でした.
 ゲーム制作は「アトラ(ATRA)」というサークルです.ノベルゲームというのは小説のようにストーリーがあるゲームで,プレーヤの選択で物語の展開や結末が変わります.20名くらいのサークルで,グループワークで作品を作るのですが,主に楽曲の制作を担当していました.こちらは,3回生の前期まで続けました.

ステージでのパフォーマンス
ステージでのパフォーマンス

学園祭のステージでのパフォーマンス.なるほど,これは怪我をしそう.

―― 文武両道だった訳ですね.英語の講師をやったり,海外研修も何度か出かけたと聞きました.

 1回生の時は,生協の英語講座を受けていて,2回生からはその講座の講師をやっていました.講師といってもそんなに高給ではなく,普通のバイト程度です.
 この英語講座の一環で,1回生の夏に1週間,語学研修としてオーストラリアのシドニーに行きました.これでオーストラリアがすっかり気に入りました.それで,1回生の春休みには,学部主催のIT研修に参加してブリスベンで5週間過ごし,2回生の春休みは,生協プログラムでメルボルンに10日間滞在しました.

海岸の写真
カンガルーとの2ショット

さすが先輩と後輩,同じような体験をして来るものだと感心する.
M2東森拓磨のページを参照のこと)

メルボルン

豪州第2の都会メルボルンはカラフルで魅力的な街

 同じGr.3の東森先輩はオーストラリアとカナダを体験されたようですが,私はオーストラリア一筋で,3大都市を制覇した訳です(笑).
 今後は,研究成果を発表しに,国際会議で海外に行きたいです.

―― 色々活躍した後,3回生春は研究室のジュベナイルプロジェクトに専念だった訳ですね.3チームの1つのリーダー役は志願されたのですか?

 「Master of Sculpture」というMR体験しながら彫刻をするチームのディレクタ役に手を挙げました.元のアイディアは同級生の林君の提案だったのですが,作品制作を統括するディレクタは院進者に限ると言うので,就職予定の彼はできなかったからです.グループワークに興味があったことは既に述べましたが,チームを率いる役も経験してみたかったのです.

―― ディレクタとしての苦労話やトラブルを聞かせて下さい.昨年は,新型コロナウイルスの影響で,最後まで完成できなかったのですよね.

 全員協力的で,それほどの苦労はなかったですよ.開始時から,ディレクタの他にシナリオライタ,プログラマ,モデラと役割は分かれていたのですが,プログラマとモデラに関しては,もっと役割分担を細分化し,各自の責任範囲を明確にしました.トラブルというのも機材のちょっとした不具合ぐらいで,人間関係は円滑で,楽しく作業できていたと思います.お世話係の先輩達のアドバイスも適切で,とても有意義な経験だったと言えます.
 2月初めにキックオフがあり,途中2度の中間報告があって,3月末に仮完成版を先生方に体験して頂きました.ここまでの完成度は70〜80%程度だったでしょうか.そこからGW前までにブラッシュアップして,完成版を披露する予定が,ご存知のように,4月7日に緊急事態宣言が出て,授業はストップで,学生は全面的に入構禁止になりました.GW開けに解除されたら再開し,1ヶ月遅れでの完成の計画を練り直したのですが,とうとう再開できずに終わってしまいました.何もかも中途半端で,とても残念でした.皆,同じ思いだったでしょう.

―― そのディレクタ経験は,下級生の指導担当に活かされたのでしょうか?

 今年の3つのチームの内,「ミュージック班」のお世話係を担当しました.最初は,どうしていいか全く分からなかったようなので,ディレクタの心得などを指導しました.構想を具体的な計画に落とすことも一緒に考え,使用機材の使い方,中間報告の発表スライドの作り方なども教えました.
 今年も1月8日に2度目の緊急事態宣言が出て,ジュベナイルが始まる2月も延長されていました.人数制限はありますが,もう全面入構禁止ではなかったので,週に1〜2回全員参加で進捗を点検し,それ以外の日はプログラム班,モデリング班でオンライン情報交換し,個々に進めていたようです.これだけコロナ渦が続くと,皆,もうこのスタイルに馴れてしまっているんじゃないですかね.
 前半は,指導者も一緒に登校して,集中議論に参加していましたが,後半はメンバーが自発的に活動できるようになり,全く問題なかったです.4月30日の最終報告会は完成したデモ体験の人数が制限されただけで,予定通りにジュベナイル・プロジェクトを終了できたのは,羨ましかったですね.  

―― Gr.配属以降の田付さんの卒業研究,院進後の現在の研究室生活は如何でしょうか?

 ジュベナイル・プロジェクトでは,当研究室で開発された「先端伸縮型デバイスExtickTouch」というユニークな対話デバイスを使って,バーチャルな木彫りの熊を彫ることを目指していたのですが,そのまま希望通りExtickTouchを扱う研究Gr.3の「道具班」に配属されました.後で聞いた話ですが,自発的に手を挙げてディレクタ役をやった学生は,Gr.配属では最優先されるそうです.得しました(笑).
 卒論では,従来のExtickTouchにブレーキ機構を導入して反力を強化し,力覚提示機能を改良するテーマに取り組みました.

ExtickTouch本体
ExtickTouch使用風景

ブレーキ機構を導入したExtickTouchの使用風景

 このテーマは卒論で一区切りついたので,院生になってからは,自分で考えた新しいテーマに取り組んでいます.今度は道具を手に持たず,ワイヤーで指に接触感を与えるという方式です.まだ始めたばかりですが,楽しみにしていて下さい.

―― 最後に,3回生に対して,何かメッセージをお願いします.

 研究室は自分がやりたいと思ったテーマについて,とことん研究することができる場です.何かに熱心に挑戦したいという人は,研究室配属後,是非それに取り組んでみて下さい.設備,研究環境,先輩方など,あらゆる点で,私は本研究室を強く推奨します.