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(注:本映画時評の評点は,上から![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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10%の快感,90%の不快感,監督権限の濫用だ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
映画は監督のものである。プロデューサの力が増し,企画からキャスティング,公開時期から宣伝に至るまでを仕切っているとはいえ,作品の細部に至るまでの責任をもち,画調や作品のテイストを決定づけるのは監督だ。ましてや,大ヒットを飛ばした後で,その名前による集客力が見込める場合には,監督の権限が倍加する。 |
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VFXスーパバイザは,勿論ジョン・ゲイターだ。主担当スタジオはデジタル・ドメインだが,2,000カット以上のVFXとなると,他にBUF Campagnie,Evil
Eye Pictures,Cafe FX等,約10社の名前が並び,ILMやSPIWまでもが参加している。なるほど,カンフーならぬ「カー・フー(Car
Fu)」と名付けられたレーシング・カーのアクロバット走行やバトルのシーンは圧巻だ(写真3)。砂地のレースが引き起こす砂塵,黄昏時のレース現場での異様な雰囲気等も,見事な描画力で表現している(写真4)。細部のこだわり,描き込みもすごい。 その高度な映像表現力が,映画の面白さに貢献しているかと言えば,答えは明らかにノーだ。芸術家気取りの兄弟監督は,映画の文法を外すことが創造性だと勘違いしているのではないか。外すこと自体はいいが,そこから感心・感動するものが生まれて来なければ,タダのオタクの道楽にすぎない。観客の10%くらいはこの奇妙なテイストに快感を覚えるかも知れないが,残る90%にとっては不快感の方が勝るに違いない。すばり,これは監督権限の濫用だ。全体像を知らず,与えられたCG/VFXの処理に精魂を傾けたクリエータたちに敬意を評して,評価は★でなく,せめて☆にしておこう。 |
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(画像は,O plus E誌掲載分から追加してします) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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