■デイヴィッド・G・ストーク(編)(日暮雅通監訳)『HAL伝説−2001年コンピュータの夢と現実』(早川書房,4,800円,1997年)(

 いうまでもなく映画『2001年宇宙の旅』で,宇宙船ディスカバリー号の中枢であったコンピュータHAL9000に関する書である。映画では,1992年1月12日にイリノイ州アーバナの工場で始動されたとなっている。その日には,世界各地で誕生パーティーが催され,現実にはHAL並みの頭脳を持つコンピュータが作れなかったことが話題になっていた。  ところが,アーサー・C・クラークの原作小説では,1997年1月12日が生誕の日であるという。そして,この日を前に改めて,HALの機能と現在のコンピュータ,人工知能の実力を対比して科学的分析を試みたのが本書である。
 何かと理由をつけて記念日を設けるのは,デパートの大安売り並みで感心しない。きっと,2001年にもまた似たような企画がいくつも出てくるのだろう。
 そう思いながら買ったのだが,内容的には重厚でかなりコクがあった。HALの持つ知能や心について,16章にわたり一流の学者・技術者たちが,専門的視点からの解説を書いている。画像認識のA.ローゼンフェルド,自然言語理解のR.シャンク,機械学習のD.B.レナト,認知科学のD.A.ノーマンらが自ら筆をとり,そして,人工知能の創始者M.ミンスキー,人工生命のS.ウォルフラムは編者のインタビューに答えている。まさに斯界の第一人者たちが,HALを分析し今後の展望を語っているのである。
 翻訳書は,HALの生誕から約半年遅れで,SF小説の老舗早川書房から出版された。訳者はプロの翻訳家たちだが,専門用語も大きな誤りなくこなしている。全434ページのボリュームある中味は,難解ではないが,読み通すにはかなりの技術的素養がいる。マニア向けの読み物としてはレベルが高すぎる。大学か大学院での人工知能(AI)の講義のサブテキストとしても十分使える。いや,主テキストでもいい。それくらい魅力ある講義をしないと,AIは単なる記号的推論だけの退屈な学問かと,学生に嫌われてしまうだろう。ただし,これだけの内容を一人の先生が教えられるかどうかは疑問だ。
 このレベルになると,編者にもかなりの力量がいる。 編者のD.G.ストークは,リコー・カリフォルニア研究センターの主任研究員で,専門はコンピュータによる視話(読唇術)である。この専門テーマなら,かねてからHALに興味があったのは当然だ。こう書いて何のことだか分からない読者は,まだこの本を読む資格はない。映画をじっくり観賞し,かつAIに興味のある者でなければ,この本の面白さは猫に小判だろう。
 レナト,シャンク,ノーマンらは,HALやこの映画を題材としながらも,軽いタッチの読み物にし上げている。一方,ローゼンフェルド(第10章)は,実際にデイブ・ボーマン船長やクルーのフランクの映像から顔や表情の認識を試み,コンピュータ・ビジョンの最近の進歩を大真面目に論じている。同様に,音声合成(第6章)のJ.P.オリーブ,音声認識・理解(第7章)のR.カーツワイルも,HALの声や会話を分析し,当該分野の歴史と現状を述べている。「感情」についてのR.W.ピカードの第13章や「プランニング」に関するD.E.ウィルキンズの第14章も力作だ。
 これだけの分担執筆者が揃うと,スタンスの違いがあるのも止むを得ないだろう。第6章のオリーブは,「2001年が近づきつつある現在,俳優ダクラス・レインが演じたHALの声――温かさと感情をそなえ,人間らしくて好感をもてる声で話せるコンピュータがあるだろうか? 答えはいまのところ,まだだ。」(p.152) とやや否定的な答をしている。一方,第10章のローゼンフェルドは,「HALは視話の能力,そしておそらくボディランゲージを読みとる能力で,現在のコンピュータを(さしあたってのところでは)凌いでいるかもしれない。しかし1990年代のコンピュータ視覚システムは,きっとHALが誇りにするような多くの能力を――この章ではそのほとんどを述べていないが――すでに備えている。そして,こうした発展にいまだに限界は見えていないのだ。」(p.263) と,楽観的すぎる見方をしている。評者の私には,HALへの距離はむしろ音声合成の方が近いと思う。このレベルの議論になると,見解の相違でかなり異なった結論に達してしまいがちだ。
 映画のシーンがカラー写真であちこちに散りばめられ,楽しい本に仕上がっている(その分,値段も高 い!)。マニアが喜ぶ話も載っている。HALが接続を切られる前に歌った『デイジー,デイジー』は,かつてベル研究所で音声規則合成でコンピュータに初めて歌わせた歌だったという。A.C.クラークがそこまで知っていたということも,実に意味ありげなエピソードだ。
 SF好きのAI研究者,あるいはAIに興味のあるSFファンにとって白眉の章は,第5章「とても楽しいゲームでした――HALはどのようにチェスをプレイするか」だろう。執筆者はM.S.キャンベル。チェスの世界チャンピオン,ガルリ・カスパロフを破ったIBM社のディープ・ブルーの開発メンバーの1人である。映画中のフランクとHALのチェス対戦の棋譜を一手ずつ分析し,HALとディープ・ブルーの違いを詳細に論じている。
 本書は1997年1月の生誕記念出版であるから,原稿締切は1996年である。したがって,この年の6番勝負でディープ・ブルーは1勝しかできなかった(1勝3敗2分け)ことが前提となっている。1997年ディープ・ブルーのリターンマッチでの勝利(2勝1敗3分け)を知ってからなら,論調はかなり違っていたかもしれない。偶然とはいえ,この1年の違いは残念である。見方を変えれば,HALが誕生した1997年にディープ・ブルーが人間を完全に負かしたことは,AI史において象徴的出来事であるともいえる。
 最後に,興味深い2つの記述を引用しておきたい。
 「もしHALが大きな目玉ではなく,きちんと顔をもっていたら,あれほど簡単にスイッチを切って殺せただろうか?」(p.155)
 「それではわたしたちはHALのような,知的で扱いやすくて柔軟な機械をつくりたがっているのだろうか? イエス。感情は,そのような機械に不可欠なのだろうか?
 おそらくイエス。実際,現在まで人工知能がこのような仕事をこなせないおもな理由は,感情の欠如だと思われる。ただし,もうひとつ疑問があって――わたしにはその答えがわからない。情緒的コンピュータをもつにあたって,人々の準備はととのっているのだろうか?」(p.334) 擬人化エージェントを研究する者にとって,励ましでもあり戒めともとれる,実に意味ありげな問題点の指摘である。数ヶ月前に出たこの本の書評を,なぜこの号まで取っておいたかご理解いただけるだろう。()